2020年6月14日(日) 第二主日礼拝
宣教者 岡村直子牧師
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5章9〜11節
新型コロナ伝染病によって世界中で死者が多数出ました。若い人たちも含めて、死や生について真剣に考える時となったように思います。Ⅰテサロニケ5章9−11節の中で手紙の作者であるパウロはこう言います。「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」 私たちは生きることが約束されている命に入っているのです。主と共に“生きる”と書かれています。主イエスは地上におられる時に言われました。「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」(マタイ12:26-27抜粋)生きている、とは活動している状態です。自分が自分であることを認識している状態です。死んで朽ちてしまうのではない世界があるのです。死んでも主と共に生きるという約束は神がなさったのですから、それが取り消しになることはありません。そうであるならば、自分のことを心配することはありません。その恵みから押し出されて他者と生きることが求められています。もはやキリストと共に、他者と共に、生きずはいられないのです。苦しみや悲しみはそれだけでは終わりません。そのど真ん中に神がおられて、共に生きる恵みを知るように導いて下さいます。希望の神がすでに生きずにはいられないようにしてくださっていることに感謝します。