救い主ゆえのの苦闘

2023年4月2日(日) 第一主日棕櫚の礼拝*受難週

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 14章32~42節

イースターを迎える前の受難週に入ります。今日読むマルコ14章までの間にイエスは3度、ご自分の死と復活について話しておられます。今日読んでいただく箇所は、罪人として捕えられる直前にゲッセマネの園で祈られた時のことです。それまでに弟子たちに見せた事のないイエスの姿や言葉が記されています。「イエスはひどく恐れてもだえはじめ」(33 節)『わたしは死ぬばかりに悲しい。』(34 節)「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り」(35 節)「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(36 節) 弟子たちがイエスとは少し離れたところであってもイエスの祈りの言葉が聞こえていたのでしょう。彼らが今までに見た事も聞いたこともない苦しげな主イエスの姿、言葉に弟子たちはかなり動揺しただろうと推測できます。それでも彼らは祈っていることができずに眠ってしまうのです。
最も愛する神から捨てられなければならないイエスの苦しみは、全ての時代の人を救うために負わねばならない孤独の闘いでした。この祈りの後イエスは捕えられて裁かれ、翌日の金曜日に処刑されます。三日目の日曜日に復活されることを知っている私たちは何と幸いな存在でしょうか。今日から始まる一週間の中で聖書の言葉を読むことができますように。主イエスの名で祈ることができますように。そして共に感謝と喜びをもってイースターを迎えましょう。

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