放蕩息子の兄

2019年10月27日(日)  第四主日礼拝

宣教者 松村誠一先生

ルカによる福音書15章25~32節

イエス様が話された「放蕩息子のたとえ話」ですが、良く聞くのは放蕩息子、つまり弟の方のだと思います。しかし今日はその兄について語られているメッセージです。
 放蕩に身を持ち崩した弟が帰って来ると、父親は何の咎めもせず、無条件にその放蕩息子を迎え入れ、そして帰宅歓迎の宴会を盛大に催しております。兄が普段どおり仕事を終えて、家に帰って来ると、家の中からにぎやかな宴会の音楽が聞こえて来ます。兄は何事かと思い、僕を呼び、尋ねてみると、財産を持って家を出て行った弟が帰って来て父親がその息子を迎え入れ、宴会を催していることが分かるのです。
 僕は兄に伝えます「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたと言うので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」。それを聞いた兄は怒り、家に入ることもしません。自分は一生懸命働いているのに、好き勝手なことをしながら何の咎めもなく、父親の温情を受けている弟。それを知って兄は嫉妬、憎しみによる怒りに支配されてしまい、父親にその怒りをぶつけています。
 さて私たちは勿論、放蕩息子であると思います。私たちは無条件に赦され、神によって迎え入れられた者であります。しかしいつの間にか、そのことを忘れ、放蕩息子の兄のような立場に立ち、嫉妬、憎しみを抱き、兄弟姉妹との関係を絶とうとする思いに支配さてしまう者ではないでしょうか。そのような者に対してイエス様は「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と。そして怒りに支配されることなく神の家族として、神の愛に応えて過ごしなさい、と語りかけて下さっているのです。

コメントは利用できません。