愛により、約束により

2025年1月12日
宣教者 岡村直子牧師

申命記 7章6~8節

 今日読んでいただくのは旧約聖書の申命記、モーセ五書と言われる律法の書の第五書にある言葉です。死が近くなったモーセが、神によってエジプトから脱出させたイスラエルの民に対して語っている告別説教の言葉です。私たちとは時代も民族も違う、いわば関係ないイスラエル民族のことです。しかし、私たちはイエス・キリストにより神がどのような方かを知る者となりました。神の愛を知り、神に従う人々に対して語られている言葉とするなら、私たちもまた、この言葉と関係ない者ではなく、イスラエルという共同体ではなくてもイエス・キリストを信じる者として、また教会として読むことができます。

 昔のイスラエルは、モーセによって奴隷状態から救い出され、約束の地がどこかもわからないまま難民として40年間も旅を続ける中で、神に従うとはどういうことなのかを教育されていきました。何も持たない、信仰だけの民でした。

 さて、神が一つの民族を選んで導かれたのには理由がありました。それはその民族をとおして神の恵みが世界の全ての人に伝えられ、神を知って信じるためでした。その最初の民族を神がただ一方的に選び、愛したのです。

「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」申命記7:7-8

 神の一方的な愛は、モーセの時代からイエス・キリストの時代まで変わる事がありませんでした。神の究極の愛は、イエス・キリストに表されています。死を克服して復活された主は今も教会の主であります。様々な試練に逢いながらも、主を求めて、信じて、従う人々がいる限り、主は困難を乗り越えさせてくださるに違いありません。驚きつつ、悔い改めと感謝をもって、自分をささげていく日々でありますように。

コメントは利用できません。