2024年10月20日
宣教者 岡村直子牧師
マルコによる福音書 14章27~31節、66~72節
前回は十二弟子の一人、ユダによる裏切りの中で行われた最後の晩餐の箇所を読みました。今日は弟子の中でリーダー格だったペトロのつまずきをみていきます。イエスは弟子たち皆が“わたしにつまずく”と、昔の預言者の言葉を用いて予告されたとき、ペトロは自分と他の弟子たちと比較して、私はイエスにつまずかないし、たとえ死ぬような事があっても主イエスを裏切ることはない、と力を込めて言い張ったのでした。ペトロは確かに一人で、敵の陣地へ乗り込むようにして、イエスが捕えられていた大祭司の中庭まで、勇気を出して潜んでいたのです。しかし、人々からあなたもイエスの仲間だ、と断定されたときに、イエスを知らない、関係ない、と言ってしまいました。このことが本当でなければ自分が呪われても良い、とさえ言って激しく徹底的にイエスとの関係を否定してしまいました。
ペトロは、本名はシモンでしたが、主イエスから「ペトロ」つまり「岩」というあだ名をいただいた人でした。最初期にイエスに従い、常にイエスと共に行動していたリーダーでした。イエスを信じる信仰においては、岩の様に盤石だと自分に自信があったからかもしれません。それを粉々に打ち砕いたのは自分自身でした。その事実はどんなに彼を打ちのめしたことかと想像します。しかし、イエスはペトロをはじめ弟子たちの裏切りを予告なさっても、それですべてが終わりだ、とはおっしゃらないのです。ペトロは自分の裏切りにショックを受けて、自分をゆるせなかったことでしょうけれど、神の愛がイエスをとおしてどんなに深く広いものであるかを知るのです。復活だけでなく、地上におられたときから、イエスは希望ある将来を語っておられたのでした。
ペトロを自分と重ね合わせて、励まされる人々は少なくないでしょう。人は自分が神の御前には罪人でしかない、ということを自覚する時が来ます。そしてそのときこそ、神の御前に心からへりくだることができる時です。人生の中で幾度もそのような悔い改めをしながら、神にゆるされて、私たちは感謝をもって歩みます。