必要な言葉をくださる方

2025年2月16日
10才の春感謝・合同礼拝
宣教者 岡村直子牧師

ペトロの手紙Ⅰ 3章10節~11節

 本日はこひつじ幼稚園を卒園されて10才になられた方々をお招きして、教会と幼稚園の合同礼拝となりました。目には見えませんが聖霊として神はここにおられますので、ご自分の心にある思いや願いをイエス・キリストのお名前によって大胆に祈られますようにと願っています。

 今日は「言葉」について少し思いめぐらしてみたいと思います。言葉はコミュニケーションの手段ですし、言葉によって私たちは知識を得ますし言葉によって気持が奮い立ったりするものです。けれども、どの言葉が信用できるかわからない時代です。インターネットの時代に入り、AIによって自分が求める情報をすぐに手に入れることができるようになりましたが、フェイクが出回っていますので、安易には用いることは危険だということも私たちは知りました。

 そんな中で、聖書の言葉は嘘や偽りのない、キリストを証しする言葉として信頼して読むことができます。今日読んでいただく聖書の言葉は、イエス・キリストが十字架につけられて死んで復活されてから半世紀後の時代に、キリスト教のリーダーが迫害されて苦しむ教会の人々に語った言葉です。この言葉は旧約聖書の詩編34編からの言葉を引用しています。

「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」1ペトロ3章10-11節

 自分や他の人の命が守られて、生きることを脅かされない幸せな日々を過したい、と願う人々は、昔も今も同じです。常に争いや戦争があったからでしょう。幸せな日々を過ごすために何か大きなことをしなさい、というのでもなく、著者はとても身近なことを勧めて、平和を願い、積極的に求めよ!と励ましています。

 今や聖霊として生きるキリストは差別なく、すべての人に試してみよ、と励ますのです。「求めなさい、そうすれば与えられる。・・・」(マタイ7章7−8節より)あなたに語りかける救い主イエス・キリストの言葉を覚えていてください。そして実際に祈って体験してくださいますように。

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