復活の片りん

2023年6月4日(日) 第一主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 9章1~13節

“終わりよければすべて良し”という言葉がありますが、終わりが良いとはどういうことを意味するでしょうか? 聖書ではそれは神と共にある命だと言います。つまり復活の命が与えられることだと言います。イエス以外にこの世の誰も経験したことがないことですが、神の約束です。今日の箇所を読むと、復活のイメージが少し想像できるような気持になります。主イエスは3人の弟子たちを連れて山に登ります。そこでイエスの姿が輝き、大昔の旧約聖書の全く違う時代にいて既に死んだ有名なリーダーたちと一緒に会話をする、という場面を3人の弟子たちは見るのです。ペトロたちは今自分たちと共にいる主イエスが、大昔の信仰の偉人と会話をする場面を見てどんなに驚いたことでしょう。それだけでなく、彼らは神の声を聞くのです。神の国を垣間見たようなひと時だったでしょう。9章1節で記されている言葉は、このことを述べているのかもしれません。
十字架で処刑される前の主イエスの願いが、祈りとしてヨハネ福音書17章に記されています。その24節でイエスが願うのは、ご自分と共に人々がいることであり、人々にイエス・キリストの栄光を見せたいということでした。これからイエスが皆の期待を裏切って死なれて、目の前からいなくなるけれども、それこそが神の栄光が現れるためのことであり、彼らが目撃したイエスの変貌の意味がつながる時が来る、と読みました。私たちが聖書の言葉によって神の約束を信じ続けていくために、神は今共におられることをいろいろな形で私たちに示されます。それを私たちが気付くことができますように。神が復活を約束してくださっていることが何よりも私たちの心強い支えとなりますように。そしてもはや自分のことを心配する必要はないので、精一杯主に仕える思いで様々な課題から逃げることなく、今を生きてまいりたいと思います。

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