弟子の覚悟

2019年4月28日   第四主日礼拝

マタイによる福音書8章12~20節

宣教者:山本弘夫伝道主事

ある律法学者がイエスに近づいてきて、「先生、あなたがおいでになる所ならどこまでも従ってまいります」と語ります。律法学者がイエスに対してこのように語ることは珍しいことです。他の福音者では、イエスと律法学者は互いに批判する関係となっております。

この言葉に対してイエスは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と答えます。イエスに従う道には困難もあるがあなたにはその覚悟があるかと問いかけたのだと思います。

イエスに従うには様々な道がありますから、この律法学者がこの時そのままイエスに従って同行しなかったとしてもイエスに従う者にならなかったとは言えません。

イエスは、マタイによる福音書の16章で「わたしについて来たい者は、自分を捨て自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人はたとえ全世界を手にいれても、自分の命を失ったら何の得があろうか。」と語っております。

イエスを信じイエスに従うときには困難もありますが、それでもそれが命を得る道であると語ります。

自分にとって一番大切なものは自分の命であるということは多くの人にとって本音ではないかと思います。もしそうであれば自分の命を本当に大切にする生き方はどのようであるかを考える必要があります。

はっきりと神様への方向転換を果たし、神様との関係を正しく回復し、与えられた時間を神様とともに生きるとき、一番大切な自分の命を一番大切にする生き方ができるのだと信じます。

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