天にあるものをおもう信仰

2022年8月21日(日) 第三主日礼拝

宣教者 柏雅之神学生

コロサイの信徒への手紙 3章2節、コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章17~18節

私たち神様に召された者は、キリストを自分の救い主と信ずる信仰が与えられ、罪を赦され、永遠のいのちが与えられました。しかしクリスチャンも、この地上においては理解できないさまざまな試練や悲しみに直面することがあります。こうしたなかで、我々は切実な思いで神様に願い求めます。早く「益」を与えて下さいと祈り続けます。
しかし、神様は私たちを変えようとしておられます。地上にあるものに執着し、地上にあるものを想い続け、求め続ける者ではなく、天にあるものをおもう者へと私達を変えようとしておられます。神様が、この世で、私たちに求めておられることは、この世の思い、この世の願望、この世の価値観に深く染まった私たちを、そこから引き離し、神の国にふさわしい者へと変えていかれることです。
ところが、私達にとって、この世の願いと想いから引き離されることは、しばしば大きな痛みをともないます。大きな悲しみをともないます。大きな涙を流すことが幾度となくあるかもしれません。しかし、その痛みの涙を経ていくなかで、いつか我々は、神様がより豊かな祝福を、より大きな真の益を与えてくださったことを理解できるようになるのではないでしょうか。
私たちはこうしたことを通して、過ぎ去りゆくこの地上に、過ぎ去りゆくこの世に、全ての希望を託すことから離れて、天の御国とそこで与えられる永遠のいのちを見つめ、そこに真の希望を託する信仰が与えられるのではないでしょうか。古い新改訳聖書ではコロサイ書の3章2節に、「あなたがたは地上にあるものを思わず、天にあるものを思いなさい」とあります。そうです。「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです」(Ⅱコリント4章17節)。こうした信仰を大事にしたいと思います。

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