垣根を越えた対話と愛

2022年10月30日(日) 第五主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 7章24~30節

 

今日の箇所は、民族差別という垣根を越えた女性と主イエスの対話の記録です。神の救いは差別無く全ての人に対して向けられていると私たちは知っていますが、そのようになるための最初の一歩として、神はイスラエルという民族を選びました。その民族と神との関係において、神が世界に知られることになりました。神がどのようなお方か具体的にあらわし、教えたのがイエス・キリストです。

天地を造り、全ての命あるものを造られた唯一の神を信じるユダヤ人は、偶像を神と拝む人々とは付き合いませんでした。ですから今日の箇所で登場するティルスの女性とイエスが対話をするということも普通ではないことでした。そこにはいない娘がイエスよっていやされた、という奇跡が起こったきっかけは、イエスが異邦人の住む地域に入って行かれたことからでした。イエスの評判はかなり広い地域にも知れ渡っていました。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ母親がイエスにいやしをお願いしたのですが、イエスの返事は婉曲な拒絶でした。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」と言われたイエスの言葉の意味をこの母親は理解しました。でも彼女はあきらめなかったのです。そしてイエスが感心するほど機知と敬愛に満ちた受け答えをすることができました。それを聞いたイエスは、感心なさったのです。そして、「悪霊は娘からもう出てしまった。」という言葉をいただいたのでした。そして彼女はその通りになったことを体験するのです。

私たちが聖書を読むのは、神がどのようなお方であるかを知り、神がこの自分とどう関わりがあるかを知るためです。プロテスタントのキリスト教会では、聖書を信仰の規範としています。明日の10月31日はマルチン・ルターの宗教改革記念日です。505年たちました。ルターによって、教会のリーダーたちの誤った姿勢が軌道修正され、一般市民が聖書を自分の言葉で自由に読めるようになりました。神は神を求める人、信じる人を用いて、世界に必要なことを起こされます。あなたを含むすべての人が神の愛に触れて希望を持って生きるためです。

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