収穫は多いが働き手がすくない

2019年9月8日  第二主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事  マタイによる福音書9章35節~38節
マタイによる福音書の5章から7章の山上の説教で様々な教えを語ったイエスが何をなさったかを語っているのが8章と9章です。
本日の聖書箇所は、その最後の部分です。
35節に「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」と書かれています。ここにイエスがなさった行動と働きが集約され、まとめて書かれています。この表現は他の箇所にもあり教会で良く引用されてきた表現です。
①出ていって大切な知らせを伝えるという伝令の働き、②教えるという働き、③病を癒すという働きが語られています。伝える内容は福音、つまり喜びの知らせです。神の国到来の知らせです。明るい希望を与える知らせです。たよりない私たちの生活のなかに確かな神が介入してくるとの知らせです。
36節でイエスは、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て深く憐れまれた」と書かれています。群衆はなぜ飼い主がいない羊のように弱り果て打ちひしがれていたのでしょうか。バークレーは当時の宗教的状況を挙げております。祭司、律法学者、ファリサイ派といった当時の宗教指導者は人々に対し何ら慰めとならず、力にもならなかったと語っています。ただ律法という重圧をかけていただけでした。
37節、38節でイエスは「収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と語ります。伝道は神の働き、神が主体の働きですから神無しに進めることはできません。神に祈って神に聴いて初めて進められます。神とともに進める働きです。
今教会に集められている人は全て収穫のための働き手であると言えます。

 

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