十字架を担う

2019年12月1日(日) 第一主日・第一アドベント礼拝

山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書10章32~39節

本日の聖書の言葉は、まず「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないという者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」です。
イエスを救い主と信じる者は、人々の前でもイエスを信じるクリスチャンであることを言い表せという分かり易い言葉です。
続いて「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と想ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。」です。
これは、平和のイメージのイエスの語った言葉としてなんと厳しいものでしょう。ルカによる福音書12章にも並行記事がありますが、偶然にも先週の石田先生のメッセージはその聖書箇所でした。
いったんは創造的に破壊して、そのうえで真の平和を築くのが、神の御こころなのではないでしょうか。神に忠実に仕えようとするときに、結果としてこのような事態が起こり得ることを覚悟する必要があります。しかし主は最終的には最も益となる結果を供えていて下さいます。
次に「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失うものは、かえってそれを得るのである。」と語られます。
自分に与えられた十字架は、逃げることなく担いきることが大切です。共にいて下さる神に助けられて担いきることは、信仰生活の素晴らしい醍醐味(だいごみ)ではないでしょうか。

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