付きまとう虚しい思い

2019年8月25日  第四主日 主の晩餐礼拝

宣教者 松村誠一先生(品川バプテスト教会協力牧師)

ローマの信徒への手紙 1章18~25節
ローマの信徒への手紙1章18節には次のように記されています。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現わされます」と。パウロは人間が作り出している社会での様々な出来事を直視して述べているのではないでしょうか。すなわち創造主である神を無視した人間社会は神の怒りが降り注いでいるような様々な悲しい、恐ろしい、苦しいできごとが起こっているではないかという指摘です。
神を神としてあがめない人間は自分の知りえた知識で物事を判断せざるを得ないのでありますが、その判断基準は愚かであり、それゆえに神が示す真理を覆い隠してしまうのです。不信心と不義は、真の神を神と認めない人間が作り出す所産ではないでしょうか。
神はご自分にかたどって人を創造されたと、旧約聖書の創世記1章に記されておりますように、人間は神の似姿として創造されたのであり、それゆえに人間は神を求めて歩む存在なのです。そのような存在にもかかわらず、神を認めず、神に反抗する人間に対して、神は天から怒りを現わされるのです。
真の神を神として認めない、崇めない、そこに神の怒りとして虚しい思いが与えられるのです。そして虚しい思いが与えられた者は、その思いをごまかすために偶像礼拝へと向かっていくのです。
今日の日本においても多くの偶像を見ることができます。それは裏を返して見るならば、多くの人々が虚しい思いに悩んでいるということではないでしょうか。パウロはこの虚しい思いからの解放は真の神を神と信じる信仰によってのみであることを明らかにしております。イエス様を信じ、虚無から解放され、喜びの人生を共にしてゆきましょう。

コメントは利用できません。