12月5日(日)11時~12時 第一主日・第二アドベント礼拝
宣教者 高見龍介牧師
士師記 13章1〜18節
本日は士師記からサムソンの誕生秘話を取り上げます。サムソンの両親であるマノア夫妻には、長年子どもが授かりませんでした。そんなある時、主の御使いがマノア夫人に現れて、「あなたは不妊の女で子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。その子はイスラエルをペリシテから救う先駆者になるであろう」と告げたのです。夫人は早速このことをマノアに報告しますが、彼は全くその預言を信じることができませんでした。なぜなら、長年にわたり子どもが与えられなかった自分たちの苦悩の現実と、40年もの間ペリシテに抑圧支配されていたイスラエルの苦悩の現実を考え合わせた時、そのような不思議が起こることは、人間的な常識から見て、まず不可能なことのように思えたからなのです。
2度目に御使いが現れた時、マノアは懐疑的なままで、御使いに「あなたの言われたことが事実となった時、その子になすべきこととは何でしょうか?」と尋ねます。すると御使いは、「私が先に女に命じたことは、みな守らねばなりません」と答えたのです。しかし、この会話はチグハグです。マノアは「子どもになすべきこと」を尋ねているのに、御使いはそれに答えず、「母がなすべきこと」をマノアに命じているからなのです。これは一体どういうことなのでしょうか? この時マノアは、子どもが授かることに懐疑的でした。そこで彼は、納得できる答えを得るために、わざわざ御使いを呼び出して質問をしていたのです。しかし御使いは、不思議が起こるか起こらないかを求める前に、まず主の御言葉を受け入れ、それに従うことを命じておられたのです。すべてを納得した上で戒めに従うのではなく、「先行きが不透明なままであっても、主の御言葉に信頼して歩み出せよ!」と語りかけていたのです。御使いは信じることをマノアに勧めます。信じることとは、「今までの状態がいかであろうとも、語りかけられた御言葉を何よりも確かなものとして生きていくこと」であり、その信じる歩みの中にこそ、神様の不思議は現れるものなのです。