モーセ暗殺未遂事件の真相

2022年8月14日(日) 第二主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 17章9~14節、 出エジプト記 4章24~26節

創世記17章で、神はアブラムに対し、①アブラムとサライに間に子どもを与え、②アブラムを諸国民の父にし、③アブラムとその子孫たちにカナンの土地を与え、④永遠に彼らの神になってくださる、という4つの約束をしてくださいました。この約束を履行するにあたって、神はアブラムにも1つの約束を守るようにとの注文を出しています。それが、彼と彼に続く子孫たちに「割礼」を施すことであったのです。これは神の祝福の約束を、決して忘れることがないようにと、神がアブラムとイスラエルの人々に与えてくださった恩寵のしるしと呼べるものでもあったのですが、これを施さなかった場合、その者は命を絶たれるとの厳しい言葉もこの契約では述べられていたのです。しかしこれは、決して脅しの言葉だったのではなく、かの有名な預言者モーセでさえ、この命令に従わなかったために、神によって命を狙われたのです(出エジプト記4:24)。モーセはこの時、イスラエル救済のためにエジプトに向かおうとしていましたが、彼は多忙のあまり、誕生したばかりの次男エリエゼルに「割礼」を施すことを忘れてしまっていたのです。そこで神は、命令を守らない不従順なモーセに対し、死の制裁を下そうとされたのです。この一件のゆえに、神の言葉には決してウソ偽りがないことを私たちは肝に銘じておく必要があります。では、命を狙われたモーセは一体どうなったのでしょうか? この命の危機に際し、モーセの妻でありパートナーであるツィポラが機転を利かせ、息子エリエゼルに「割礼」を施し、血を流すという奉仕をしたことで、神の命令は遵守されることになり、モーセは罪赦されて、九死に一生を得ることができたのです。
神の命令は絶対ですし、神の御言葉と律法は完全です。しかし、本来、神の命令に従うことができない不完全な私たちは、上記のように死の報いを受けなければならなかった者なのです。しかし、私たちのパートナーであるイエス・キリストが、「そうであってはならない!」と私たちのために血を流すという奉仕・アクションをしてくださったことにより、神の命令は遵守されることになり、私たちの罪は完全に拭い去られ、赦されたのです。そればかりか、神から尊い使命を託されている私たちは、今もなお神から恵みと祝福を注がれながら生かされ続けているのです。このようなわけで、不完全な私たちですが、徹頭徹尾、全能の神に赦され、慈愛の主イエス・キリストに愛されていることを知って、日々を恐れなく歩んで行きたいものです。

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