2022年5月1日(日) 第一主日礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 14章1~16節
創世記13章におけるアブラムとロトの生き方は対照的です。アブラムはいかなる過酷な状況にあろうとも、目に見えない世界にこそ、神の愛と臨在があることを信じ、その信仰に歩みました。一方のロトは、目に見える豊かな物質世界だけに心を奪われてしまい、目に見えない方、目に見えない愛の世界に心を注ぐことができなかったのです。ロトはハランの地を出立して以来、アブラムと行動を共にし、襲いかかってきた飢饉の災い、エジプトにおける苦難においても神に守られ、目には見えない神の愛と恵みを直接肌で感じ取っていたはずなのです。にもかかわらず、彼は土地分配の際、神に信頼しようともせず、豊かさと安楽を求める罪に陥ってしまったのです。それゆえ彼は、豊かさばかりを求める人間の欲望が引き起こした、東方メソポタミア軍とパレスチナ連合軍との戦争に巻き込まれ、連れ去られて、命の危機にまで瀕してしまったのでした。
「罪が支払う報酬は死である」。このロマ書の御言葉は、神に信頼せず、神に背を向け、あくまでも自己の本懐を遂げるためだけに生きる者の運命を語った言葉です。まさしくロトは、その不信仰のゆえに、今や死の世界へと連れ去られようとしていたのでした。しかし、それでも神は彼を見捨てなかったのです。このような不信仰に生きるロトに対しても、無限の愛を注いで止まない神は、ご自身の御心に適う者となったアブラム(愛の心を持つ、真の神の使者となったアブラム)を用いて、ロトのための救いの御業を敢行されたのです。
このとき用いられたアブラムも、神同様に甥(血肉)のロトを愛していましたから、ロトが連れ去られたと聞いて、彼は直ちにロトの命を取り戻すためにその救出に向かいます。そして神からの知恵をいただいて、無敵を誇ったメソポタミア連合軍を粉砕し、ロトと共に捕虜になっていた人々、奴隷として死の世界へと向かっていた人々の全てを、命の世界へとターンオーバー、取り戻したのです。我が身の安全をも顧みず、悪しき敵に立ち向かった、この勇気と愛の人アブラムがいなければ、神の御心は果たされませんでした。それゆえアブラムのこの働きは、大いに賞賛されるべき業であったと言えるのです。