エレミヤの預言者的象徴行為

2022年12月18日(日) 第三主日礼拝・第四アドベント

宣教者 高見龍介牧師

エレミヤ書 32章1〜15節

エレミヤ書32章には、BC587年に起こった出来事が記されています。BC587年は南ユダ王国がバビロニア帝国に滅ぼされた年です。その亡国前、預言者で神の人であったエレミヤは、ベニヤミン族の所領に属する「アナトトの畑」を買い取るために、都エルサレムを離れようとしていたのです(エレミヤ書37章11節以下)。
アナトトの畑は、エレミヤの従兄弟であるハナムエルの土地でしたが、何らかの事情により、彼はその土地を手放さざるを得なくなったようです。イスラエルの国においては、「土地は神のもの」という考え方があります。これに従えば、土地の所有権は本来神にあり、人間たちの手によって勝手に売買することは許されていないことであったのです。もし土地を手放さなければならないような、切羽詰まった事情が起こったならば、同じ血縁の者が、それらの土地を責任をもって買い取らなければならなかったのです(レビ記25章23節以下)。
このようなわけで、エレミヤはこの時、従兄弟のハナムエルからアナトトの畑を買い取ろうとしていたのです。ところが、このエレミヤのエルサレムからの出立が、憎きバビロニア軍への投降行為と守備隊長のイルイヤに勘違いされたため、エレミヤは投獄されることになってしまったのです。イルイヤの妨害にあい、土地を買い取ることができなくなってしまったエレミヤ…。「あ~困ったものだ!こんな囚われの状況ではどうすることもできない!」、エレミヤのストレスは溜まる一方であったのです。しかし、そのようなままならない状況、迫害下にあった時、ふと主の言葉が臨んだのです。それは身動きが取れないエレミヤに代わって、ハナムエルの方からやって来て、土地の売買契約ができるという言葉であったのです。そして実際、主の言葉通り、ハナムエルがやって来て土地を買い取ることができ、その土地を他人の手に渡すことなく事態は収拾されることになったのです。この体験をしたエレミヤは、「何と有り難いことか!主の言葉により、これらの幸いが起こった!恵みが起こったのだ!」と8節後半で主に感謝を献げているのですが、実はこのエレミヤ、この象徴行為を通して、ある一つの預言をしていたのです。本日はその意味を解き明かしてみることにします。

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