イエスの心 弟子知らず

2023年2月5日(日) 第一主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 8章11~21節

誰にもわかってもらえない、という悲しさ、苦しさ、もどかしさを、イエスは感じておられたのだと分かるような場面です。イエスを敵対視していたファリサイ派に対する言葉と、思い込みで勘違いをする弟子たちに対する言葉に、誰にも理解されない神の子の孤独がただよって来るようです。ファリサイ派の人々はイエスにしるしを求めました。しるしとは証拠です。しるしは今までにも何度となく人々は見てきているはずです。そして、ご自分の味方であるはずの弟子たちは、自分たちの思いに集中してしまい、イエスの「ファリサイ派のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」という言葉を全く理解せず、イエスとの会話の歯車が噛み合わない状況です。「まだ分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があってもみえないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。」と、イエスの言葉は叱責というよりも、人の信仰のどうしようもない限界を悲しんでいるように聞こえます。
パン種とはパンをふくらませるイースト菌のことです。少しの量でパンを大きくすることができるもので、害を与える悪いものとしての例えとして用いられています。
どうして弟子たちは、イエスの忠告の言葉を自分たちがパンを持ってくるのを忘れたからだと思ってしまったのでしょうか。的外れな考えにとらわれてしまうことは、私たちも陥り易いことではないでしょうか。「まだ悟らないのか」と言われ続けているような自分かもしれません。けれども、弱い者を見捨てずに最後まで導いて下さる主が共におられるのです。感謝しつつ自分が信じた道を歩み続けます。

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