わたしのもとに来なさい

2020年2月9日(日)  第ニ主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書11章25~30節

25節から「そのとき、イエスはこう言われた。天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」と書かれています。真理は、この世的な知恵や知識を誇る者には、隠されて幼子のような素直で単純で謙遜な者に示されると語ります。この事実は、御心にかなうことで主を賛美すると語ります。
ガリラヤの人々がイエスに心を閉ざしたのは、幼子のような心を失い、知恵や知識を誇っていたからでしょうか。
27節は「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者は、いません。」です。この言葉は、イエス・キリストが、父なる神と私たちをつなぐ役割、仲保者としての働きを担って下さることを示します。
28節は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」です。私たちは、人ごとに様々ですが、労働の苦しみ、経済上の苦しみ、人間関係の苦しみ、病の苦しみ、孤独の苦しみ、先行きの不安による苦しみなど苦しみの種は尽きません。そして、疲れた者、重荷を負うものが大勢生じます。
主はその全ての人に「わたしのもとに来なさい」と語りかけます。
イエスは、柔和で謙遜であり、イエスの軛(くびき)は、軽く、負いやすい軛です。これを負い、イエスに学ぶことで私たちは、休みを与えられます。単なる安楽ではありません。イエスとともに歩むことで力を得ます。導きを受けます。その歩みは、疲れや重荷をはねかえす恵みの歩みとなります。

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