2024年9月8日
宣教者 岡村直子牧師
マルコによる福音書14章1節~9節
読んでいただいた場面は、主イエスが十字架にかけられる数日前の出来事です。イエスは重い皮膚病を煩っていたシモンの家で食事をしておられました。重い皮膚病にかかった人との接触は、禁じられていました。弟子たちも皆招かれていたので、ひょっとするとシモンは自分の病がイエスによっていやされた感謝を表す食事会を開いたのかもしれません。その席で、一人の女性が純粋で非常に高価な香油を主イエスの頭に注ぎかけるという事件が起こりました。
あまりに高価なものをその一瞬に全部使ってしまったのです。この香油は誰のものでもない、この女性の所有していたものでしたからこの人の自由です。けれどもその場にいた人々は、それをもったいない無駄遣いとして憤慨したのでした。ぶどう園などで働く労働者が得る給与の1年分に相当するものでした。それを売って貧しい人々に施すことができたのに…と人々はこの女性のしたことを非難しました。
イエスの死が近づいているときでした。この女性は黙ったままです。どのような思いでそのような行為をしたのか、だれにもわからなくても、イエスにはわかられたのです。それはイエスへの愛ゆえの行為だったことをイエスは大切に受け取られ、間もなく死へと向かうことと結びつけて彼女を擁護しました。主は行為の外側に見えることではなく、その動機をご覧になる神です。貧しさに喘ぐ社会の人々を助けることはこの当時の社会で大切にされていた良い行いでした。人々のもっともと思える非難の中で、イエスは「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」(8節)と受け取られました。そして、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(9節)と言われました。無言で行われたこの女性の行為は愛と感謝に満ちたものだったです。これから全ての人の罪を負うために死に赴く主イエスへの大きな励ましになったと思います。主イエスが身代わりとなって私たちに永遠に神とともにある命をくださっているのです。神の側のもったいないほどの愛が現代の私たちにも注がれていることをいつも心に覚えていようではありませんか。