2024年11月3日
宣教者 高見龍介牧師
使徒言行録26章12節~23節
使徒言行録には「パウロの回心話」が3回出てきます。9章では物語風に叙述され、22章ではパウロ自身がユダヤ民衆に向かってヘブル語で語り、26章ではパウロ自身がローマ総督フェストゥスとユダヤのアグリッパ王に向かってギリシャ語で語りかけているのです。この出来事を起こされた神の目的は、9章、22章においては、パウロ個人の救済に重点が置かれていますが、26章においては、パウロ個人の救済というよりも全人類の救済に重点が置かれており、これが26章の大きな特徴になっているのです。
26章では、パウロが光に打たれた時、彼は「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」との御声を聞いていますが、ここに9章と22章の回心話にはなかった「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という特徴的な言葉が出てきているのです。それは「主なるキリストの絶対的主権に反抗して迫害を続けるならば、致命的な傷を負うことになり、それは全く無益なことでしかない」という意味なのですが、この言葉を26章の文意に当てはめると、それはパウロのみに向けて語られた言葉なのではなく、主に反抗し続ける人々、すなわち全人類に向けて語られた言葉になるのです。
無教会派の伝道者であった山本泰次郎氏は、「真理、すなわちキリストに逆らう者は、結局、自分自身で傷つき倒れるのである。太陽をとらえて西から昇らせようとする者は、我と我が身を焼き、地球を停めて逆転させようとする者は、我と我が額を地球にぶつけて割るのである。人はついに真理に、キリストに逆らうことはできないのである」と語っています。すなわち「私たち人間が、真理である神に反逆し続けるのであれば、私たちは必ず死の報いを受ける」のであり、実にこれこそが、全人類が辿るべき末路であったのです。
私たちの生き様こそ、真理に逆らう生き方です。この生き方に生き続ける限り私たちの未来に希望はなく、滅びと虚無だけが待ち構えているのです。しかし、それを御旨とされない神が、「これでいいわけないのだ!」と言って、私たちを滅びから救済するために「光の出来事」をパウロを通して起こしてくださったのです。