2021年12月26日(日) 第四主日礼拝
宣教者 山本弘夫伝道主事
マタイによる福音書 17章14〜20節
高い山から下りて平地に戻ったイエスのもとに、息子がてんかんで苦しんでいる父親が近づいてきます。この父親はイエスに「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。・・・お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」と語ります。
イエスは、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。」と嘆き、「その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」と伝えます。そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、その子どもはいやされます。
弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか。」と問います。
イエスは、「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もしからし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じてもそのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」と答えます。
からし種とはけしつぶのような小さいものです。そのように小さくても神様への信仰が確かにあれば、弟子たちはこの子どもから悪霊を追い出し、てんかんを治すことが出来たことになります。「あなたがたにできないことは何もない」のですから。
ここで父親がイエスに対し「憐れんでください」と懇願する姿に注目します。弟子たちにもこの信仰姿勢があれば子どもを治すことができたかもしれません。「主よ、憐れんでください」と祈る姿は信仰の原点であると思います。からし種一粒ほどの信仰を持ち、主に信頼し、全てを感謝し、全てを委ね、主に従って生きて行きたいと思います。