2024年9月29日
宣教者 岡村直子牧師
マタイによる福音書 28章1節~10節
今日は久しぶりに、幼稚園との合同礼拝となりました。幼稚園の9月の暗唱聖句は、「主において常に喜びなさい」(フィリピ 4章4節)となっていますので、喜びについてお話ししようと思います。聖書では、「主において常に喜びなさい。」のすぐ後に「重ねて言います。喜びなさい。」と続くのです。喜ぶことが強調されていて、すんなりとは心に入って来ないような言葉かもしれません。私たちの日常生活ではいつも喜べる状況ではありません。この言葉が書かれた時代は紀元後50年代で、キリストを信じる人々が迫害され、信教の自由はありませんでした。2000年経つ今、自分の生活や身近なところから世界の状況まで見渡しても、不条理で悲惨なことが多く、批判や怒りを感じて、気力が失われるような思いになる世界に私たちは生きています。神さまはどこにおられるのだろう。神がおられるのなら人の命が奪われ続ける戦争や不正義になぜ介入してくださらないのか、と思ったことはないでしょうか。
今日読んでいただいた聖書の言葉はイエス・キリストの復活を天使が女性たちに知らせるという場面です。イエスの墓が空になり、天使がその場に来た女性たちに伝えました。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。・・・確かにあなたがたに伝えました。」イエス・キリストは復活して今もおられる。この喜びからキリスト教会が生れていきました。復活のキリストを心に受け入れたときから人々の中で喜びが泉のように湧き上がり、その喜びは時代を経て脈々と世界に伝わって行きました。この教会もキリストを救い主と信じた人々によって設立され、こどもたちが大切な存在として幼稚園が設立され、イエスさまをとおして神さまに信頼する心が育てられています。
礼拝の冒頭で読んでいただいた招詞の言葉は、イエス・キリストが誕生したクリスマスの夜に、天使が暗い夜に働く人々に伝えた言葉です。“民全体に与えられる大きな喜び”としてイエス・キリストはこの世に与えられました。救い主イエスは、人々の喜びとして降誕され、人々の喜びのために死なれました。そして人々の喜びのために復活されました。これこそがどんな時でも心の奥底で消えない喜びとして存在し、わたしたちが毅然として希望と愛をもって生きる原点なのです。