謎のたとえが導く信頼

2021年8月8日(日) 第ニ主日礼拝(オンライン)

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 4章21〜25節

平和への願いを胸に、今週も聖書の言葉に導かれて歩みます。主イエスは4章で様々なたとえを用いて語られます。4章の最初のたとえは様々な状態の地に蒔かれる種のことでした。今日のたとえは“ともし火”と“秤り(はかり)”です。どちらも当時の毎日の生活に欠かす事ができない必需品でした。しかし、このたとえもそれだけでは充分にはわからない内容です。「…『ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。』」(22節)「『あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。』(24,25節より)  わからないけれど、心に残って気になる言葉です。たとえ話というのは、一般的には難しい事を分かりやすくするためなのですが、イエスのたとえは、イエスとの対話の中で聞かなければわからない謎なのです。イエスの話の中心は、「神の国」です。神の国とは神のご支配なさる世界です。イエスのたとえ話がわからなくて、聞いた後で主イエスに更に聞いた人々がいました。このことを心に留めたいと思います。神さまが支配なさる世界は、主イエスによって近づいたけれども、まだ目に見える現実にはなっていません。しかし確実なことがあります。それはイエスが神の子で救い主であること、イエスの死と復活の意味を知ったこと、神は昔も今も共におられる神であるということです。そして、私たちがイエスのお名前でどんなことでも祈って神との交わりができるように日々導いて下さっています。神からの大きな大きな恵みです。

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