神は人を分け隔てなさらない

2020年5月31日(日) 第五主日

準備者 山本弘夫伝道主事

使徒言行録 10章9節~16節、44節~48節

ハレルヤ、主の御名を賛美いたします。
「聖書教育」の本日の箇所から聖書に聴きます。
本日は、教会暦では5旬祭、ペンテコステです。聖霊の働きによって、神がイエス・キリストを遣わして下さり、そのイエスによって私たちは救われるという救いを証する伝道の働きが大きく力強く進展して行きます。
十二弟子の筆頭と言えるペトロもまた方々を巡り歩きイエス・キリストによる救いを伝道します。
ペトロは、リダという所で中風で8年も床についていたアイネアを起き上がらせます。リダに近いヤッファでタビタ(ドルカスともいう)という多くの良い行いや施しをしていた婦人が死んだとき、弟子たちは、ペテロをリダからヤッファへ呼び寄せます。そしてペトロは、この婦人を生き返えらせます。
ペトロは、ヤッファで皮なめし職人のシモンの家に滞在します。ユダヤ教では皮なめしの仕事は汚れていると考えられていました。皮なめし職人シモンの家に滞在したこと自体、既にユダヤ教の枠から抜けだしつつある姿を見ます。
そのころ、カイザリヤにいた、ローマ軍の百人隊長コルネリウスに幻が示されます。
カイザリヤは、パレスチナを治めるローマの本部が置かれていた場所です。
コルネリウスは、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」と書かれている立派な人であったようです。
この人に神の天使があらわれ「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。」と語ります。
そこから本日の聖書箇所に入ります。
「9翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたところ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。10彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。
人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、11天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。12その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。13そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。14しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』15すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』16こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。」です。
旧約聖書のレビ記11章には、清いものと汚れたものに関する規定が定められています。ユダヤ教ではそれを厳格に守っていました。
昼頃、屋上で我を忘れた状態になったペトロにあらゆる獣や鳥などを入れた四隅でつるされた大きな布が天から地上に下りて来ます。
そして「ペトロよ、身を起こして、屠って食べなさい。」という声がします。ユダヤ教の律法に忠実なペトロは、「清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」と答えます。このことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられます。
ペトロがこの不思議な幻に思案しているところに、百人隊長コルネリウスの使いが到着します。その時、霊がペトロに「立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」と告げます。
ペトロの一行は、カイザリヤのコルネリウスのもとへ出かけます。ペトロは、迎えたコルネリウスに対し「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしたちに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」と語ります。
コルネリウスは、天使から「あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。」と言われペトロを招くよう告げられたことを語ります。
ここでペトロは、「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」という言葉ではじまる説明的宣教によって私たちにつかわしてくださったイエス・キリストをとおしての救いのできごとを証します。
ここから本日の二か所目の聖書の言葉が始まります。
「44ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。45割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て大いに驚いた。46異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、47『わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水でバプテスマを受けるのを、いったい誰が妨げることができますか』と言った。48そして、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。」です。
ユダヤ教は、ユダヤ人だけが特別に選ばれ救われるという狭い宗教と言えます。その枠を破り、救いは全ての人々に向けられているという世界宗教であるキリスト教への脱皮はイエス・キリストと聖霊の働きによって着実に進展して行きました。
ペトロの宣教によって信心深い異邦人の上にこのように聖霊が下る現象が現れたことは、何よりの証拠でありました。神は人を分け隔てなさりません。
その同じ聖霊が、今を生きる私たち一人一人の上にも同じように働いていることを信じます。  祈ります。 ・・・

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