無になろう!

2020年6月7日(日) 第一主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記1章1〜3節

私たちの信仰の礎である聖書、その書き出し部分には、神が天地万物を造られた話や人類最初の人アダムが造られた話がつづられています。では、これらの話は事実に基づいたものなのでしょうか。いいえ、それらは古代よりイスラエル周辺諸国で語り伝えられていた、神話をもとに編集された創作物語と呼べるものなのです。しかし、それらの神話が事実ではなく、創作された物語であるからといって、「ナンセンスだ!読むにも聞くにも値しない!」と考えるのは早合点なのです。なぜなら、これらの神話には事実ではないにしろ、真実が描き出されているからなのです。そして実際、ここには私たち人類を代表したイスラエル人の手による真実なる「人間理解」と真実なる「神理解」とが記されているのです。そしてこれらの見解は、一朝一夕に出来上がったものではなく、長い歳月をかけて結論づけられたもの、イスラエルの苦難の歴史体験と深い歴史洞察により導き出された告白であるがゆえに、その内容は真実といえるものなのです。そして、この神話を通して編集者が伝えたかったこととは「人間と神の真実なる姿を認識し、これらの上に立って生きることこそが祝福を生む道であり、命に至る道である」ということなのです。それゆえ、この創造物語は単なる荒唐無稽な作り話ではすまされない大変意義深い内容を持つところのものであり、神から人類への救済のメッセージが込められた珠玉の福音と呼べるものなのです。ですから本日、私たちはこの創造神話から謙虚に聞いて、神が私たちになそうとしてくださっている救済の業に与っていきたいと思うのです。

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