安息日の事件簿Ⅱ

5月16日(日)11時~12時  第三主日礼拝(オンライン)

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 3章1〜6節

今日も集れない形の礼拝ですが、神の祝福を信じて生きる力が与えられますようにと願います。前回、安息日に麦の穂を摘んだイエスの弟子たちを咎めたファリサイ派の人々に対して、イエスが本末転倒を指摘する言葉を心に留めました。今日はその続きで、また安息日の事件についてです。イエスが安息日に禁じられていたいやしをしたことで、イエスを公に抹殺する決断がなされたいきさつが書かれています。イエスが安息日に会堂に行かれたときに、手の萎えた人をイエスがいやされるかどうか待ち構えていた人々がいました。イエスを訴えようと待ち構えている人々を前にイエスは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか。」と言われて、その人をわざわざ真ん中に立たせて奇蹟のいやしを行われました。ここで言葉を出したのは主イエスだけで、あとは誰も何もいわないままで終わっています。このときにイエスを敵と見なす人々は、沈黙したままイエスを殺害する方向へ流れていきます。そしてイエスは、あえて安息日にいやしを行い、死を覚悟してご自分の立ち位置をはっきりさせたのでした。目の前に苦しむ人がいたなら、それがどのような理由でそうなったにしてもイエスは見過ごすことができないお方です。黙っている人々にイエスは問いかけをして対話のきっかけを作っておられます。しかし対話は成立しませんでした。今も聖書の言葉や様々な事柄をとおして、救いへと招いて下さる神に対して、私たちが応答するものでありますように。イエスを敵対視して死へと追いやるファリサイ派の人々もまた、神の愛から逃れることはできないのです。もちろんあなたもです。イエスが命をかけるほどに神から愛されている存在なのです。

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