主の祈りについて(2)

2017年12月31日  第五主日礼拝

マタイによる福音書6章9~15節

宣教者:山本弘夫伝道主事

 山上の垂訓の中からイエス様がこのように祈りなさいと祈りの見本を示した主の祈りについて聖書に聴いております。

前回は、前半部分でした。まず、「御名があがめられますように」という神様が神様として正しく認識され正当に敬われるように祈る言葉、次に「神の国が来ますように」との神様のご支配が行われることを祈る言葉、三つめは、「神様の御心が天で行われているようにこの地上でも行われますように」との祈りです。自分の願いに神様を従わそうという祈りではなく、神様の御心を最大限に尊重し自分は御心に聴き従おうとする祈りです。この祈りは第一番に優先される祈りであります。

それに対し、本日の後半部分のはじめの祈りの言葉は、「私たちに必要な糧を今日与えて下さい」との「私たちの必要を満たして下さい」との祈りです。

私たちは変えることができない現実の枠組みのなかに生きております。しかし私たちは、そうした前提のなかではありますが、生きて行くた

めに必要なことを神に祈り求めることが許されております。

精神的に必要なこと、食物、健康、仕事、人との出会いとつながり、私たちが生きて行くために必要なことは沢山あります。私たちはその必要を素直にそのままに神に祈り求めることが許されております。

「祈りは聴かれる、祈りなさい」との言葉は聖書に多くでてきます。

ただどのような形でかなえられるかは神の御心によることで私たちにはわかりません。結果は全て恵みとして感謝して受け入れるのみです。

祈りは私たちの特権であり恵みであります。正しい祈りの持つ力を私たちは、実生活のなかに大いに生かしたいと思います。

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