イエスと神殿税

2022年1月23日(日) 第四主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書 17章22〜27節

これからエルサレムに向かうイエスは3度受難と復活の予告をします。弟子たちは悲しみますが心の準備として必要な予告でありました。
カファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と問います。
ペトロは「納めます。」と答えます。
ペトロが家に入るとイエスの方から言い出されます。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢物をだれから取り立てるのか。自分の子どもたちからか、それともほかの人々からか。」これに対しペトロが「他の人々からです」と答えるとイエスは「では、子どもたちはおさめなくてよいわけだ。しかし彼らをつまずかせないようにしよう」と語りペトロに湖で釣りをすることを命じます。すると魚の口から銀貨が出てきます。神殿税はエルサレムの神殿を維持管理するための費用です。毎日行われる自分たちの罪の贖いのための祭儀の費用です。一人が1年に2ドラクメ(1ドラクメ=1デナリ=労働者1日分の賃金)負担します。
神殿税の根拠は、出エジプト記30章11節から16節にかけて書かれています。「あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケル(=2ドラクメ)である。」と定められています。
イエスは、釣った魚の口から銀貨を出すという奇跡によってイエスとペトロの二人分の神殿税を生み出します。これはイエスの十字架による贖いを先取りしているようにも感じられます。
これから起こるイエスの十字架の贖いの完成によって罪の赦しのための神殿も神殿祭儀も不用となります。贖いを成し遂げ復活したイエスは私たちの心のなかに住まわれます。

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