アブラム家の破綻

2022年7月24日(日) 第四主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 16章1~16節

創世記16章にはハガルという女性(エジプト人の女奴隷)にまつわる物語が記されています。このハガルは、イスラエル民族の父祖であり、全人類の祝福の基とされた、あのアブラムの奥さんサライに仕えていたのですが、ある時、このハガルを巻き込んでアブラム家には一大騒動が引き起こされていくことになったのです。
神様より、全人類に主の愛を伝える使命を与えられたアブラム。この使命のゆえに、彼には神様からの祝福である「子孫の繁栄」が約束されていました。しかし、待てど暮らせど一向に子どもが与えられる気配がなかったのです。この時すでに高齢であったアブラムとサライ夫妻は、神様による可能性を信じつつも、不可能にしか思えない現実にたじろぎ、苦悶する毎日を送っていたのです。しかし、アブラムが85歳、サライが75歳になった時、ついに二人は待つことに耐え切れなくなり、自らの手で苦悩からの脱出を図ろうとします。それが、女奴隷ハガルの胎を借りて子どもを得るという画策であったのです。
古代中近東では、子どものできない女主人が自分の所有する女奴隷に子どもを産ませてそれを世継ぎとすることは、法にかなった正当的な行為とされていました。サライは何とか苦しみの局面を打開するために、思案を重ね、法的にも倫理的にもかなった方法で、自らの手で祝福の道を切り開こうとしたのです。しかし、この後アブラム家は一体どうなったのでしょうか? 子どもが与えられ、円満で祝福された一族となったのでしょうか? いいえ! 祝福どころか、ハガルは逃亡し、子どもは与えられず、以前の状態よりも事態は悪化することになってしまったのです。サライ自身「良かれ」と思ってやったことなのに、それが最悪の結果を生んでしまうことになろうとは…。では、一体サライの何が悪く、何が原因でこのような破綻がアブラム一家に及ぶことになってしまったのでしょうか? 本日はそのことを学び、私たちの戒めにしたいと思うのです。

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