また会う日まで

10月16日(日) 第三主日・故山本弘夫伝道主事召天感謝礼拝

宣教者 岡村直子牧師

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章12~18節

本日は8月29日にこの世の命を終えて、神のもとに移された故山本弘夫伝道主事のことを覚えて、その存在とお働きを神に感謝する礼拝としています。山本弘夫さんは献身者であり、教会のリーダーでした。コロナ感染危機がある中で、8月29日に高見龍介牧師の司式で、ご家族、ご親族のみでの葬儀を持たれました。教会の方々にとっては、集まってお別れをする機会がないままで寂しい思いをされていた方々は多くいらっしゃると思いますが、今日はこのようなかたちで礼拝できることを感謝いたします。
今日の聖書の個所は、山本さんが大切にしておられた言葉を含む個所を選ばせていただきました。テサロニケの信徒への手紙Ⅰの5章16節から18節は美しい言葉ですが、人間には不可能だと思える言葉です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」世界にキリストの福音を伝えたパウロの言葉ですが、どうしてこのように言えたのでしょうか。しかも「喜んでいなさい」が冒頭に置かれています。喜びの感情は、命令されてなるものでもありません。
苦しいことが多い世界で、いつも喜んでいることなどできるはずがない、と普通には思ってしまいます。むしろ怒ることが大切な時代なのではないかと思うほどです。キーワードは18節にありました。「キリスト・イエスにおいて」という言葉です。イエス・キリストは神の愛をその死をもって体現され、人が神と共に生きるようにしてくださいました。イエスが死から復活されたことにより、わたしたち人間もイエスのように復活させられる恵みの約束が与えられています。神の御前で愛する人々と再会する希望が与えられています。神の約束を疑って生きることもできますが、信じて喜んで生きることを選びたいと思います。だからこそ今という困難な時代を、勇気をもって悪と戦いながら、互いに敬愛しあって共に生きていくことができます。私たちは様々に変る社会や世界の状況や感情に振り回されながらも、消えることのない喜びがあるのです。山本弘夫さんとまた会える日まで、今という時代を、喜んで生きることをキリストのゆえに選び取って生きたいと思います。神への祈りと感謝は絶えることがないでしょう。

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