いじめられたアブラハム

2023年4月23日(日) 第四主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 21章22~34節

アブラハムがゲラルの町にやってきて以来、彼は4年間アビメレク王をはじめとするゲラルの人々と共生共存に生きてきました。その間、アブラハムには約束の子イサクが誕生するなど嬉しい出来事があり、ますますアブラハム一族は繫栄して行ったのです。すると、それまで友好的な態度を示していたアビメレク王をはじめとするゲラルの人々も、次第にアブラハムの繁栄に脅威を抱くようになり、またその豊かさをねたむようになって行ったのです。そしてついに、彼らはアブラハムの繁栄の源である井戸を埋めて命の水を断ち、アブラハム一族を干からびさせて、この地から追放しようとする「いじめ作戦」に打って出ることになったのです。
このようにアビメレク王からのいじめを受けたアブラハムでしたが、しかし彼は、奪われた井戸を譲り(自己犠牲と謙遜)、ゲラル人と争うことなく歩み(平和)、さらには、必ずや主が命の水を与えてくださるという信仰に立ち、労苦を惜しまず、新しい井戸を掘るというチャレンジに歩んだのです(信頼)。すると、このアブラハムの黙して主に信頼し、主の御心に従う生き方(自己犠牲・謙遜・平和・信頼)が、大いなる祝福を生むことになったのです。主の恵みにより、ついにベエル・シェバで新しい井戸を掘りあてることができ、豊かな水、命の水に与ることができたのです。こうしてアブラハム一族は、アビメレク王の奸計から救われ、干からびるどころか、その後もますます勢いを増して繁栄し、豊かにされて行くことになったのです。
私たちも世の迫害や困難に悩まされますが、主は常に私たちと共にいて、私たちを守り導いてくださっています。大切なことは、私たちもアブラハムのように主に信頼し、黙して主の御心に歩んでいくことだけなのです。

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