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2017年3月5日

マタイによる福音書18章21~35節

宣教者 富田愛世牧師

【ペトロの心境】

ここでペトロはなぜ、このような質問をしたのでしょうか。素直に疑問に思ったのでしょうか。それとも、自分は赦すことのできる人間だと思い、褒めてもらおうとしたのでしょうか。一つヒントになりそうなことは17章24節を見ると、神殿税を支払うよう催促する人たちが来ていたようなので、それが引っかかっていたのかも知れません。

【赦す人】

いずれにしても、私たちは大抵の場合、赦す側にいるようです。なぜ赦す側にいるのでしょうか。それは、私たちは正しい人だからです。人との関係においても、迷惑をかけられることは多いのですが、人に迷惑をかけないように生きてきたのです。そんな私たちに対してイエス様は「七の七十倍までも」赦しなさいと語られます。とても難しい課題です。

【根本的な罪】

しかし、ここに根本的な問題があるのです。それは、私たちが自分を正しい人だと思うことです。ローマ3:10に「正しい者はいない。一人もいない」と書かれています。神は「正しい者はいない」とハッキリ宣言されます。また、イエスは正しい人を招くために来たのではないと語ります。そうするならば、自分を正しいとする時、私たちはイエスとの関係を拒絶することになるのです。イエスとの関係に入るためには罪人であることを告白しなければならないのです。

【赦される人】

私たちが謙虚にこの言葉を受け入れて、自分は正しい人ではない。正しいと言い張るところに傲慢という罪があると認め「私が赦されるべき罪人の一人だ」と受け止めるならば、実行するのが難しいイエスの言葉が大きな慰めの言葉に変わるのです。聖書は「…ねばならない」言葉ではなく、慰めと赦しと愛に満ちた、神の言葉なのです。

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