飲んで、食って、歌え

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2017年2月5日

マタイによる福音書11章2~19節

宣教者 富田愛世牧師

【来るべき方】

この時、バプテスマのヨハネはヘロデ王に対して、その悪事を責めたために投獄されていました。獄の中でイエスの噂を耳にし、イエスが来るべきメシアなのかどうかを確かめようと弟子たちを遣わしました。イエスはヨハネのことを高く評価していますが、ヨハネでさえヒーロー的なメシア像を描いていたようです。

【人々の求め】

イエスはヨハネの弟子たちに「行って、見聞きしていることを伝えなさい」と答えています。人々はイエスの元に来て、癒し、慰め、励ましを求め、イエスはその求めに応じておられました。しかし、人々がメシアに求めたものは、そのような地味なものではなく、ヒーロー的なものだったのかもしれません。イエスをヒーロー視する誤解は、現代の教会の中にも見え隠れしているので気をつけなければなりません。

【バプテスマのヨハネの生き様】

人々がメシアに求めた生き様とは、バプテスマのヨハネの生き様だったのかもしれません。イエスは群衆に向かって「何を見に荒れ野へ行ったのか」と質問しました。人々が荒れ野で見たものは預言者の姿でした。その禁欲的な生活から「悪霊に取りつかれている」と非難され、その正義感から投獄されたのです。(ルカ3:19)

【イエスの生き様】

それに対してイエスの生き様はどうだったのでしょうか。イエスの敵対者は「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と非難しました。また、人々には作られたメシア像(ヒーロー)が刷り込まれていました。イエスの姿はメシアらしい姿ではなかったようです。しかし、イエスの生き様は、神が創られた「人」の生き様だったのです。それは難しいものではなく、生かされていることを喜び、おいしく飲み食いすることなのです。

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