逃げる勇気

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2018年1月21日  成人感謝合同礼拝

創世記28章15節

宣教者:富田愛世牧師

【聖書の読み方】

聖書に限らず、文章の一部分だけを抜き出す時、その言葉が本来持っている意味とは違うものになってしまうことがあります。「見よ、わたしはあなたと共にいる。」という聖句は、私たちに安心感を与えてくれます。しかし、この言葉が語られた背景を知らなければ、その安心感がどれほど大きなものかを知ることができません。

【ヤコブの物語】

ユダヤ人にとってアブラハム、イサク、ヤコブという3代続く族長の系譜はとても重要なものです。その最後に出てくるヤコブという人は父イサクを騙し、兄エサウから長子の権利を奪い取りました。そして、兄からの復讐を恐れ、祖父アブラハムの故郷であるハランの地へと逃亡生活をおくることになるのです。その時、神から語りかけられた言葉が「見よ、わたしはあなたと共にいる」なのです。

【安心できる場所】

ヤコブは不安の中、安心できる場所を求めハランへと旅立ちましたが、私たちにとって安心できる場所とはどこでしょう?子どもを見ていると、親が側にいてくれること以上の安心感はありません。何かしてくれる必要はありません。ただ側にいてくれることが安心なのです。

【逃げも必要】

安心できる場所を求める時、それを「逃げ」と捉えることがあります。しかし、物事には様々な面があります。それを一面的に捉えてしまう愚かさから解放される必要があります。そして、子どもの安心感は親に対する絶対的な信頼からきています。何があっても守り、見捨てられる事がない、という漠然としているけれど、絶対的な信頼感なのです。人は皆、信頼できる誰かを求め、何かをしてもらえなくても、一緒にいてくれることを望んでいると思います。この聖書の中で神は「共にいる」だけでなく「守り」「見捨てない」と語り、いつも私たちと共にいて下さると約束するのです。

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