自分を愛する

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2019年5月26日   第四主日礼拝

ガラテヤの信徒への手紙5章2~15節

宣教者:富田愛世牧師

【断言】

パウロは自身の律法主義に対する厳しい姿勢をハッキリと伝えています。救いの条件として割礼の有無を問うとするならば、一部ではなく律法全体を問う必要があると語ります。しかし、律法を守るということは、人間には不可能なことなのです。律法主義者たちは、自分ができていると思い込んでいるかもしれませんが、それは大きな間違いなのです。

【愛の実践を伴う信仰】

律法主義においては、行いによって救われるという方向性があります。しかし、イエスが語った福音は、無償の愛によって救われているから、つまり、愛されているからという動機によって行動したくなるというのです。愛によって突き動かされるのです。また、自分を必要としているところへと、運ばれていくというのです。

【自由を得るため】

そうは言っても、現実には律法の行いを強調する「ある人々」によって惑わされているのですから、すぐに福音に立ち返ることは難しいかもしれません。そのようなガラテヤの信徒たちに向かって「自由を得るために召し出された」と語ります。この自由とは罪からの自由であり、律法主義からの自由なのです。

【自分のように】

神から与えられた自由を、私たちはどのように用いればよいのでしょうか。それは愛に根差した行いとして用いるのです。表現の方法は人それぞれかもしれませんが、自分を愛さない人はいません。自分を愛するのと同じように隣人を愛しなさいと語ります。「言うは易し、行うは難し」かも知れません。しかし、神の愛を信じ、受け止め、感じることができるならば、私の力や努力によるのではなく、神の愛に促されて、気づいた時には、愛を行っているということなのです。

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