耳を澄まして

Girl in Fedora Staring at the Sun Christian Stock Photo耳を澄ませて

列王記上19章1節~18節

宣教者 富田愛世牧師

【調子にのるエリヤ】

私たちが思い描く預言者は、神に対して忠実で、神の言葉だけを語り、行う者という姿です。しかし、カルメル山でバアルの預言者たちと対決し、勝利したエリヤは調子にのり、神から命じられていないのに、バアルの預言者を殺しました。これによりイゼベルの怒りを買い、憎しみの連鎖が生まれてしまうのです。暴力と恐れは、いつも相互に作用しあい、人を神から離してしまうのです。

【神の養い】

恐ろしくなったエリヤは、その場を逃げ出しベエル・シェバの荒野へと向かいました。そして、以前の勇敢さとは正反対に自分の死を求めているのです。しかし、神はエリヤのために御使いを用意し、食事(命)を与えるのです。5節で「御使い」と訳される言葉は、天使を意味するのではなく、人かもしれません。つまり、神の養いとは超自然的な事柄に限らず、この世の関係性の中で養われることもあるのです。

【神の山ホレブ】

ベエル・シェバの荒野から、さらに荒野の奥、神の山ホレブへと導かれました。そこで洞穴に身を隠すエリヤに向かって神は「何をしているのか」と尋ねます。エリヤは自分勝手な言い訳をしますが、ここで語られる自己中心的な不満は、失意に囚われた人に特徴的な言葉です。しかし、神はそこから立ち上がることを求め、風、地震、火を送るのです。

【美しい沈黙の声】

神は風、地震、火の中を通り過ぎましたが、エリヤは神を認めることができませんでした。「静かにささやく声」の中にも神がいたとは書かれていません。神の存在を象徴する、様々な現象がおさまった後の静けさの中で神の存在に気づかされ、さらに、自身に与えられた使命に気づいていくのです。

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