神秘体験

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2018年10月21日   第三主日合同礼拝

コリントの信徒への手紙一3章6節

宣教者:富田愛世牧師

【庭いじり】

20年ほど前からガーデニングを趣味にする人が急に増えホームセンター等に専門のコーナーが作られるようになりました。ガーデニングの中心的な作業の一つは植物を植えることです。将来的な景観を想像しながら、奥には何を植え、手前には何を植えと考えます。そして、毎年その生長を楽しみ、終わりなく、変化も楽しむというのがガーデニングの魅力ではないかと思います。

【生きるため】

パウロはガーデニングを楽しんではいませんが、一つの真理が植物の生長に隠されていることを語っています。「わたしは植え」と語る時、種ではなく、苗を植えているように感じます。そして、この苗は農作物だと思うのです。当時の状況を考えるならば、その日を生きるということは当然のことではなかったと思います。だから、生きるために、食べるために、農作物を育てる必要があったのです。

【チームワーク】

農作物を育てるためには、その苗を植える人が必要です。しかし、植えただけでは実りはありません。水を注ぐ人、つまり、世話をする人が必要なのです。植えるだけでは育ちませんが、世話をする人も、何も植わっていない所に水をまいても何も実りません。苗があるから世話ができる。この働きは「どちらが大切」ではなく「どちらも大切」なチームワークなのです。

【神秘体験】

苗を植え、世話をすれば実りを得ることができるのでしょうか。実を実らせる苗も、枯れてしまう苗もあります。どの苗が実を実らせるのかは誰にも分かりません。神秘体験とは何か特別な霊的な体験だけとは限らないと思います。人間にはどうしようもないこと、その働きこそが「神」の働きなのです。そして、神はその働きを人の力を巻き込んで行われるのです。私たちの身の回りにある様々な出来事を注意深く見ていくなら、必ずそこに神の働きを見出すことができるのです。

 

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