神対応

new-mercies

2017年7月2日  第一主日礼拝

創世記1章1~31節

宣教者:富田愛世牧師

【創造か進化か】

創世記の天地創造という記事を読むときに必ず起こってくる疑問は、創造か進化かという疑問です。この世界の存在について、進化論はどのようにして出来たか(How)を証明しようとしました。しかし、聖書はどうして存在するのか(Why)について証明しているのです。ですから聖書の創造の記事と進化論を同じレベルで語ることはそれ自体ナンセンスなことなのです。

【この世の初め】

Howという視点でこの世の初めを考える時の答えは進化論であり、ビックバンでしょう。それらは「偶然」という出来事の中で起こったことなので、目的の存在が不明確になってしまうのです。目的を持たない時、人間は目の前にあるもの、目に見えるもの、つまり唯物論的なものの見かたに支配されてしまうのです。その結果が物質主義的な近代社会なのです。

【偶然ではない】

それに対してWhyという視点でこの世の初めを考えるのが聖書の創造論です。それは神が主導権を持って、その愛の対象として、関係の対象としてこの世界を、さらには人間ひとり一人を創られたということなのです。いろいろなものが創造されたあとに必ず「よしとされた」という言葉がつけられています。これこそが神の意志を表しているのです。

【神対応】

最近、神対応という言葉が流行っています。元々は起業のクレーム対応などで感心するほど行き届いた対応をした時に用いられた言葉でしたが、その枠にとどまらず、何事においても行き届いた配慮があることに対する賞賛の言葉として用いられています。天地創造の業を見る時、そこには、まさに神さまの神対応が見られます。創造されたもの、順番、すべて調和がとれています。そして「よし」という言葉によって存在意義が証明されているのです。

コメントは利用できません。

Copyright 2017 日本バプテスト東京第一教会