神との駆け引き

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2018年7月15日   第三主日礼拝

創世記18章16~33節

宣教者:富田愛世牧師

【キリスト教会の使命】

教会の目的は、礼拝、交わり、教育、奉仕、伝道と言われていますが、福音的と呼ばれるプロテスタント教会では、特に伝道に力を入れてきました。伝道する時、クリスチャンになるとすべてがハッピーになると言いたいのですが、聖書はそのように語りません。神に対する祈りさえ、自分の思い通りにはなりません。善い行いをしていても、それが神の計画に適っているとは言い切れないのです。

【とりなしの祈り】

今日の聖書でアブラハムは「とりなしの祈り」をしています。とりなしとは、自分の事ではなく、他人のために祈るという、とても善い事です。しかし、だからと言って、その祈りがすべて答えられるとも限らないのです。アブラハムはソドムの町が滅ぼされないように祈りましたが、結果は滅ぼされてしまいました。アブラハムのとりなしの祈りは聴かれなかったのでしょうか。

【ソドムの罪】

一般的にソドムの町は淫乱な、同性愛の町と言われています。しかし、旧約聖書はそのようには語っていません。イザヤ1章10節、エゼキエル16章49節をみるなら、道徳的な退廃ではなく、礼拝の空洞化と社会正義の放棄がソドムの罪であると預言者たちは指摘しているのです。

【ソドムの運命】

ソドムの町は結果的には硫黄と火に包まれて滅びてしまいました。しかし、アブラハムの甥のロトと娘は助かりました。ここに厳しい現実としての神の計画があったのです。それは人の正義と神の正義の違いです。人がその正義を通そうとしても、最終的な責任をとることはできません。しかし、神はその正義を通すために、最後まで責任を取られるのです。

メッセージの動画をYOUTUBEにアップしています。

下記のアドレスにアクセスしてください。

「神との駆け引き」  https://youtu.be/u5xes9qtqlw

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