祈りの本質

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2017年4月2日

テサロニケの信徒への手紙一5章17節

宣教者:富田愛世牧師

【最初の祈り】

「絶えず祈りなさい」と語られる時、どのような「祈り」をイメージするでしょうか。修道院のような生活の中での祈りから、忙しい毎日の中での祈りまで、様々な祈りのスタイルがあると思います。天地創造、エデンの園の生活に祈りという言葉は出てきません。ノアが洪水から救われた時、祭壇を築き、ささげものをしました。具体的な行為としての礼拝の始めであり、祈りも含まれていると思われます。

【しもべは聴きます】

神の声を聞くことの出来た人たちには、特別な「祈り」という行為は必要なかったのです。しかし、神の声を聞くことが難しくなって、祈るようになったのです。サムエル記上3章でサムエルは神の声に気付き「僕は聞いております」と答え、神の声を聞くことができたのです。

【ひとり静かな場所で】

神の声を聴くという祈りの姿勢と同時に、神の前に何かを訴えることも祈りです。しかし、イエスの時代には形骸化し、人に見せるための祈りが行われていたようです。マタイ6章5節以降でイエスは、一人静かに祈ることを勧めています。イエス自身も5千人の給食等の後、祈るために一人で静かなところへ行かれているのです。

【一同が集まっていると】

弟子たちはイエスの祈りを手本にしていたと思いますが、それだけではなく共に集まり祈ることによって、励ましと勇気を得ていたようです。そして、神はその祈りにこたえて聖霊を送って下さったのです。サムエルの時代は「僕は聴きます」という姿勢が、イエスの時代は「ひとり静かな場所で」という姿勢が、弟子たちの時代は「一同が集まる」という姿勢が示されました。今の時代、私たちに示されている祈りの姿勢とはどのようなものなのでしょうか。

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