祈っています。うそ、本当!

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2017年1月1日

テサロニケの信徒への手紙一5章17節

宣教者 富田愛世

【祈っています】

20年ほど前、キリスト教関係のニュースレターに表題のような衝撃的な文章がありました。内容は「クリスチャン同士の挨拶で、よく耳にする言葉だが、本当に相手のために祈っている人がどれほどいるのだろうか。などと考えてしまうのは、私の不信仰さなのかもしれない」というようなものでした。これを読んで、私は妙に納得してしまいました。

【安心感】

ここで祈られる祈りとは「執り成し」の祈りだと思います。誰かの為に、誰かの必要の為にという祈りです。祈りの質に優劣をつけることは正しくないと思いますが、自分の必要を求める祈りよりは上位にあるような気がします。しかし、もしかするとそこに落とし穴があるのかもしれません。正しいことをしているという安心感を得ようとしていないでしょうか。

【執り成しの祈り】

執り成しの祈りとは、相手の代わりに祈ることです。もしかするとお節介な祈りなのかもしれません。しかし、本気で執り成しの祈りをしようとするならば、相手を理解し、受け入れなければなりません。そうすると簡単には口にできない祈りになってしまいます。表面的な挨拶で使うことのできないものなのです。

【祈りから行動へ】

祈るということは、礼拝や祈祷会で祈られるだけではなく、日常の中で神を思う時に起こる自然なものです。そして、誰かのことを思い起こすということは、愛に根ざした行為です。つまり、祈るということは「愛」そのものなのです。そして、その祈りは口先だけのものではなく、祈るという行為が、その人を突き動かし、気がつくと行動していたという結果を見るのです。

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