気付かない愚かさ

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エゼキエル書8章1~13節

宣教者 富田愛世牧師

【信仰と信心】

「神を信じる」という時、厳密には信心しているのか、信仰しているのかという違いがあります。信心とは字の通り「信じる心」です。対象は何でも構わず、信じる心が尊いとされるのです。それに対して信仰とは「信じて仰ぐ」のです。仰ぐためには対象が必要になります。さらに仰ぐ姿勢は「お手上げ」と同じです。自分本位の信心なのか、信じる対象に対する信仰なのかで、意味合いが大きく変わってしまいます。

【御利益信仰】

信仰しているつもりでも神との関係において、本末転倒してしまうことがあります。神に信頼して様々なお願いをすることは大切です。しかし、行き過ぎるとご利益主義になってしまい、何かしてくれない神は必要ないものになってしまいます。信じて、仰ぐからには「委ねます」という信仰告白が必要なのです。

【愚かな行為】

神殿が破壊され、祭司が連れ去られた後のイスラエルの民は、何を信仰すればよいのか分からなくなってしまったようです。神が自分たちのために何かをしてくれると思っていたのに何もしてくれない。そう思った民は、自分勝手な偶像崇拝をはじめていったのです。

【与える幸い】

神はイスラエルのことを見捨ててはおられません。しかし、受ける事ばかり要求し、捧げる事、仕える事、与える事を忘れていた民には気付くことができなかったのです。神殿や祭司という、目に見える存在に依存していた民にとって、目に見えない真実の神を信仰するということは簡単な事ではなかったかもしれません。しかし、神はバビロン捕囚という苦しみの中にあってもなお、イスラエルに対する愛を示しているのです。

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