死もまた、益

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2019年6月9日 ペンテコステ 第二主日礼拝(バプテスト病院デー)

フィリピの信徒への手紙1章12~30節

宣教者:富田愛世牧師

【獄中書簡】

この手紙は「喜びの手紙」と言われています。しかし、これを書いたパウロは軟禁状態にありました。新約聖書の中には同じような手紙が4つあり、獄中書簡と呼ばれています。パウロは不自由さの中にいながら「喜びなさい」とか「喜んでいます」と語っています。この言葉がパウロの信仰を物語っているのです。

【キリストが宣べ伝えられている】

パウロが捕らえられた事によって、ある人たちは心配や不安を抱えていましたが、このような手紙によって強められていきました。また、ある人たち(律法主義的クリスチャン)は、党派心からパウロがいないうちに一生懸命伝道しようとしたようです。しかし、パウロは「キリストが宣べ伝えられること」を喜んだのです。神の業はこの世の人間的な駆け引きの中にあっても全てを「益」に変えることが出来るのです。

【生きることはキリスト、死ぬことも益】

パウロに自由はありませんでしたが、様々な方法で福音を語り続けました。それは以前コリントにいた時に「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」という主の声を聞いたからなのです。(使徒18:9)パウロの目的は福音を伝えることでした。だから生きることはキリスト。つまり、この世に来られたイエスの足跡をたどることであり、死ぬことも益とは、死が全ての終わり、最後ではないという証なのです。

【喜びます】

私たちの周りの状況はどうでしょうか。様々なこの世のしがらみによって捕らわれの身となっているのです。パウロと同じように苦しみ、辛さ、あせり、不自由さを味わっているのです。しかし、その中にあって私たちにできることは何でしょう。パウロに自由はありませんでしたが、訪ねてくる人には積極的に福音を伝え、手紙を書いて多くの人々を励ましました。あなたの存在が多くの人を励まし、福音を証ししているのです。今は分からないかもしれないが、主はそのように用いられるのです。

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