本当に、この人は・・・

new-mercies

2018年3月25日    「15の春」感謝礼拝

マルコによる福音書15章33~47節

宣教者:富田愛世牧師

【イエスの死】

イエスが十字架に架かり死なれたという事は、キリスト信仰の中心的な出来事です。その時、全地は暗くなり、神殿の幕が裂けたと書かれています。世の光として来られたイエスの死によって、この世は光を失い、全地は暗くなったのです。そして、律法主義の終焉と新しいイエスによる救いの時代が到来したことを表すため、神殿の幕が裂けたという表現がなされるのです。

【最後の言葉】

イエスの死には、どのような意味があるのでしょうか。マルコ10:45に「多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」と書かれています。イエスは人類の罪を一身に背負い、その赦しのためにご自身の命を死に渡されたのです。そして、最後の言葉として「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。神に見捨てられた唯一の人となられたのです。

【百人隊長の役割】

福音書の著者はここで一人の人に注目します。彼はイエスの十字架刑執行に最初から最後まで関係していたと思われます。与えられた仕事をそつなくこなしましたが、合法的とはいえ、人を殺す現場の責任者となってしまったのです。きっと彼の良心は苦しんでいたと思います。しかし、それが彼の仕事だったのです。

【この人は神の子だった】

この深い葛藤の中から出てきた言葉が「まことに、この人は神の子であった」という証言です。自分の命令によって人の命が絶たれるという厳しい状況の中で、彼が見たものはイエスの愛と赦しに満ちたまなざしだったのです。他の誰にも分からない百人隊長の苦しみを理解したイエスは、それを一身に引き受けて死に、それによって、彼は苦しみから解放されたのです。

コメントは利用できません。

Copyright 2018 日本バプテスト東京第一教会