愚かな言葉

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2018年4月8日     第二主日礼拝

コリントの信徒への手紙一1章18~31節

宣教者:富田愛世牧師

【コリント】

コリントという町は、地理的にはペルポネソス半島に位置し、エーゲ海とイオニア海を結ぶ東西貿易の要所として栄えていた。しかし、BC146年にローマによって滅ぼされ約100年間、捨て置かれたままであったがBC44年にユリウスによって再建された。パウロの時代、コリントには解放奴隷が入植し、ギリシャにありながら、ローマ的な政治、法律、文化的習慣を取り入れた自由都市だったようです。ローマ以前は道徳的に乱れた町として捉えられていましたが、パウロの時代には、特別乱れた町ではなかったようです。

【愚かさ】

コリント教会には12節に見られるように、いくつかの分派があったようで、パウロ派は異邦人中心、アポロ派は知識人中心、ケパ(ペテロ)派はユダヤ人中心、キリスト派については意見が分かれるところです。しかし、全体的には知識的な関心が高かったようで、このテキストでパウロは敢えて、知識人と自称するコリント教会の人々に向けて、5回も「愚か」という言葉を用い、福音を十字架の言葉と言い換えて、愚かな言葉だと主張するのです。ここにはパウロの皮肉が込められ、人の知恵の限界と、対照的な神の偉大さが語られるのです。

【救いの言葉】

人の知恵を基準に考えるなら、イエスの語られた言葉は愚かなものです。しかし、そこにこそ、救いの言葉があるという事実を教会は忘れてはいけないのです。

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である」 十字架の言葉を愚かだと受け止める事は、すでに滅びの道を歩んでいるという事に気づかなければなりません。自分を知り、自分を愛し、自分を受け入れた時、自分を捨て、自分の十字架を負い、イエスの弟子となれるのです。

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