姦淫と離婚

Bible in the Sky Christian人を養うことば

2017年5月28日 第4主日礼拝

マタイによる福音書5章27~32節

宣教者:山本弘夫伝道主事

ユダヤの人々が長年守ってきた律法に対してキリストが「これこれと命じられている。しかし私は言っておく。」との前置きで自らの権威によって新しい解釈を語るという前回からの続きの箇所です。

はじめに姦淫についてですが、ユダヤでは結婚は神が定めた大切な制度でした。創世記2章には、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」と書かれています。この結婚を破壊するものが姦淫であり出エジプト記と申命記に書いてあるモーセの十戒の7番目と10番目に厳しく戒められております。

キリストは、姦淫という外に現れた行為のみでなく、「みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも既に心のなかで女を犯したのである」と語り、こころの中の動きそのものの段階から忠告を与えております。

こころの中にある思いがやがて外に現れてくるということは心の法則のようなものであり、良いことについても悪いことについても私たちが気をつけなければならないことであります。

次に離婚についてですが、当時の男性優位の社会で男性側の身勝手な理由による離婚の乱用に対して、キリストは離婚は姦淫に通じるものであるとしてこれを戒めます。

これらは律法として語られるよりも人々の幸福を思う愛のこころから語られていると思います。

夫婦は、互いに尊敬しあうこと、相手の立場に立って思いやりのこころを持つこと、思いを伝えたうえでの赦しと忍耐が必要でありましょう。

理想どおりにいかないのが世の中の現実かもしれません。しかし聖書の言葉に耳を傾けること、その心を発信することは大切であります。

 

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