喜びの根

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2019年2月10日   第二主日礼拝

ルカによる福音書10章17~24節

宣教者:富田愛世牧師

【名前を用いること】

イエスは72人の弟子たちを町や村に遣わし宣教の業を行わせました。彼らはイエスの名を用いることによって驚くほどの成果を上げたようです。イエスの名の前には悪霊さえも屈服すると報告されているように、人間の考えや常識をはるかに超えた力がイエスには与えられていたのです。

【名前を覚えられるということ】

大きな業を成すことで喜ぶということは、何かができるというような、行いを評価するということです。それらも大切なことかも知れませんが、イエスはそれ以上に存在の大切さを弟子たちに伝えているのです。天に名が記されているとは、神に認められているということなのです。

【弟子の見たもの】

次の瞬間、イエスは聖霊によって喜びにあふれて語り始めました。そして「知恵ある者や賢い者に隠された」と語ります。どのように隠されていたのかはイエス誕生までさかのぼると理解できるのではないでしょうか。ユダヤの人々には隠され、罪人のレッテルを張られた羊飼いや東方の占星術学者に、それは示されたのです。

【神に喜ばれる者】

続けてイエスは「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。それが「御心に敵うこと」であり、喜ぶべきことなのです。幼子とは何かができるという価値観を生きるのではなく、存在することが大切だという価値観に生きる存在を意味しています。子どもの時に身についていた感性や純粋さを失うことなく、神からの語り掛けに耳を傾け、神に喜ばれる者として、自身の存在を喜ぶことができるなら幸いです。

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