同情するなら・・・

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2019年4月14日  オルガン献納礼拝

ルカによる福音書23章26~43節

宣教者:富田愛世牧師

【安っぽい同情】

イエスの十字架はエルサレム中の話題となり、大勢の人が見物に来ていました。その中にはたくさんの女性もいて、その残酷な刑のゆえに涙を流していました。しかし、それは単なる同情の涙だったのです。イエスはそれに対して、神の前に本当に哀れな存在はどちらなのかを問うているのです。

 

【救ってみろ】

同じ刑場にいた兵士たちや犯罪者の一人は「もし、神の子なら自分を救え」とイエスに向かって悪態をつきます。彼らにとっての救いとは、今の苦しみから解放されることだけでした。しかし、なぜ、こんな苦しみに合うのかを考えなければ、今の苦しみから解放されたとしても、また、同じ苦しみに合い、何の解決もありません。

 

【報い】

もう一人の犯罪人は、自分の犯した罪に対する当然の報いを受けているだけだと語ります。社会的な罰を受けるのは当然のことであると…。しかし、神はこの世において人に対して罰を与えてはいないのです。神は人の業を通して警告を与えているのです。神の与える罰とは魂の滅びなのです。一人の犯罪人はその警告を受け入れイエスに自分の魂をゆだね、それによって本当の救いに与ることが出来たのです。

 

【彼らをお赦しください】

イエスに悪態をついた人たちはどうなるのでしょうか。彼らに対しても、イエスは「彼らをお赦しください」と祈られたのです。この祈りはその場だけのものではなく、今も私たちに対する執り成しの祈りとして続いているのです。私たちは誰の中に自分を見るでしょうか。安っぽい同情をする女性達、悪態をつく男達、イエスに自分を委ねる犯罪人、いずれにしても、一歩踏み出さなければ滅びるばかりの人間なのです。

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