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2017年6月4日 第一主日礼拝

ローマの信徒への手紙12章1~8節

宣教者:富田愛世牧師

【礼拝の本質】

私たちは毎週日曜日の朝、礼拝をします。パウロはこの箇所で礼拝とはどのようなものであるかを語っています。パウロが語る礼拝とは形式ではなく、その内面のことなのです。そして、私達自身を献げていくということなのです。

【神に喜ばれるもの】

ここでパウロは「神に喜ばれる」ものとしてあなた自身を献げなさいと語ります。私たちは自分が神に喜ばれるに値する者ではないことを知っています。しかし、神が喜ばれるものは、必ずしも人の目に良いと映るものではありません。人は何事でもその結果を大切にしますが、神は結果よりも「思い」を大切にするのです。

【聖なるそなえもの】

さらにパウロは「聖なる生けるいけにえとして」あなた自身を献げなさいと語ります。「聖なる」とはどういうことでしょうか。本来の意味は「分かつ」「分離する」ということです。2節にはこの世に倣うなと書かれています。この世の価値観、常識を神に献げてはいけないのです。神の価値観、みこころが何であるかを尋ね求めていくことが大切なのです。

【生けるそなえもの】

また「生ける」いけにえとして、あなた自身を献げなさいと語ります。死んだ信仰は必要ないのです。死んだ信仰とは律法によって、言葉、行い、思考、その他すべてを決められた信仰です。パウロは一人一人に与えられている賜物を用いて礼拝しなさいと勧めています。ただし3節にあるように思い上がってはいけません。微妙なバランスが必要です。賜物とは特技ではありませんが、一致する場合もあります。賜物を用いることが、その人の喜びとなり、教会もそれを喜ぶなら、それは神のみこころにかなったことなのです。

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